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首里城のふもとの湧水を使った、沖縄の風土が生み出した手漉琉球紙
琉球紙がはじめて文献に登場するのは、1694年。首里王府の名を受けて、大見武馮武(おおみたけひょうぶ)が薩摩で紙漉き技法を学び、城下で紙を漉きはじめたと言われている。 首里城のある琉球石灰岩の丘を通り、麓で湧き出たアルカリ性の水は紙漉に適したため、琉球紙は王都首里を中心に発達してきた。王府の役所「紙座」の管理下で行われた紙漉は、琉球処分の後も民間の手で続けられたが、戦争で途絶えてしまった。 バナナによく似た、糸芭蕉という植物を使った紙など、沖縄の風土に適した紙も造られてきた。
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すべての工程にこだわる手仕事
すべての工程にこだわる手仕事
手漉琉球紙工房では、芭蕉紙、青雁皮紙、楮紙など、複数の原料を使って紙を漉く。煮熟した原料を叩いてほぐす時間が異なるなど、原料によって様々な工程の術が異なる。 手間と時間をかける手仕事だからこそ、柔軟に対応できるのだ。最後は湿紙(しとがみ)を1枚1枚干板に貼り、自然の恵みを受け天日乾燥で仕上げる。
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琉球紙の伝統を守り続ける
大学卒業後、食品会社の営業として働いていた安慶名(あげな)さん。特に沖縄の工芸のことは知らなかったが、手仕事をしたいと思って情報を集めていた。紅型をやりたいと思って訪問した工房はたまたま閉店。 新聞で、戦後に芭蕉紙を復興させた勝公彦さんの個展を偶然知り、1983年、29歳で弟子入りすることになる。手法や、道具の使い方などを教えてもらい、最初の3ヶ月はひたすら紙を漉く動作だけを練習。 次の3ヶ月は水を汲む「汲込」、さらに次の3ヶ月は漉き桁を縦横に揺らす「調子」…1つひとつの動作を丁寧に身につけた。 4年後に道半ばで亡くなった師の遺志を受け継ぎ、たゆまぬ努力を続けた安慶名さんが仕上げる1枚1枚の琉球紙が、均質な厚さながらもどこか植物の温もりを感じるのは必然に違いない。安慶名さんは教育現場などでも紙漉きを教えている。
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