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琉球王国の貿易と、人々の生活を支えてきた「やちむん」
やちむん(沖縄の方言で「焼き物」の意味)は1616年、朝鮮人陶工が薩摩藩から琉球へ招かれたことでさらに技術が向上した。その後琉球王府が、各地に点在する陶工を壺屋(那覇市)に集め、泡盛の輸出や、海産物の輸入に使われる壺・甕づくりを奨励した。先の大戦で比較的被害の小さかった壺屋では、皿や器などの生活用品の製造が盛んになり、復興を後押しした。 製陶に使われる「登り窯」は、坂に沿って連なった焼成室の中を、煙を出しながら炎がかけ上るため、今では都市部から、自然豊かな県北へ移動している。陶藝玉城の玉城夫妻は2000年、大宜味村・江洲(おおぎみそん・えす)の山の上に手作りの登り窯をかまえた。その後2014年には大宜味村・根路銘(ねろめ)に2基目となる共同窯を築窯した。
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生き物のように個性豊かな登り窯―ひとつとして同じものがない陶器の表情
生き物のように個性豊かな登り窯―
ひとつとして同じものがない陶器の表情分業制の本土とは異なり、沖縄では陶工自らが窯を作る。玉城夫妻は、文献や他社の登り窯を見て、購入したレンガと廃業した製糖工場からレンガを譲り受け、1年かけて登り窯をつくりあげた。 手作りの窯だから、陶藝玉城の陶器には、ここでしか起こりえない窯変が見られる。さらに窯内の場所や火のあたり具合によっても仕上がりが変わってくる。 薪が燃えて飛んだ灰がとけて釉薬になり、しずくが落ちたような模様ができたり、細かい凸ができたり・・・「窯のクセ」「火」「化学反応」によって生まれる表情の違いは無限大。 登り窯に委ねられた陶器の仕上がりが、それぞれ異なるのが面白い。
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沖縄の土と文化;陶藝玉城の情熱と感性に根差したモノづくり
沖縄の土と文化;
陶藝玉城の情熱と感性に根差したモノづくり陶藝玉城では、沖縄の赤土の上から白土で装飾し、石灰やわらを混ぜた釉薬をかける上焼(じょうやち)を作る。また、陶磁器の表面を削り、異なる色を出して模様にする掻き落としという技法や、仕上がった器面に粘土で作った文様を施すタックヮーサー(盛付)という技法が得意。 共同窯でつくる器の他に、個人窯でつくるシーサーや香炉、伝統的な甕など、沖縄の風土や文化に根差したモノづくりにこだわる。日本本土・朝鮮・中国・東南アジアなど様々な地域の技法や柄がチャンプルー(ごちゃまぜ)されているやちむんだが、自身の感性に従い、より良い作品に仕上げるうちに、「陶藝玉城にしか作れない」デザインになる。
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失われた技術への挑戦―飽くなき探求心が歴史を呼び起こす
登り窯で作られた古い焼き物に魅了され、自分たちでも挑戦してみたい―夫婦2人で登り窯つくるべく、2000年に大宜味に移住。以来、常に納得のいく陶器づくりに挑戦し続けてきた。 先の大戦で焼失した、王家の菩提寺である円覚寺の鬼瓦の復元事業に参加したことがある。戦前に沖縄文化研究者・鎌倉芳太郎氏が収めた写真と、鬼瓦の破片を調査した。 今でこそ伝統工芸だが、当時の最先端の技術。復元は想像以上に難しかった。鬼瓦には、当時の王府が管理する良質な土を使っていたので、現代の土で作ることが困難だった。 焼き上がりに鬼瓦が割れることもあった。結果的に納得して復元することができたものの、今思い返すと「もっとうまくできたのでは」と感じるそうだ。 どんな陶器でも「1回つくったら、反省点しかない」と語る玉城望さん。この探究心が、次の良い商品を生み出していく。
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